以前、情報の紐づけと蓄積に関して書いたが、☟
通常、人間の中で「情報」や「知識」というものは単体では存在し得ない。
ある「知識」が他の情報と結びついたときに初めてその人間の中で「認識」され蓄積される。
その際に、そこに結びついた「糸」が多ければ多いほど、その「知識」の定着は強固なものとなり、また、あとで取り出す際にもスムーズに取り出すことが出来る。
その中で、ブレイクスルーが生じるという話は以前にした。☟
ある「情報」を支えるためには「他の情報で編まれた網」が必要であり、ある一つの「情報」だけがポカンと宙に浮いた状態で、頭の中に単独で存在できるはずがない。
当然、紐づけされていない「情報」は「落ちて」いくことになる。
赤ん坊が言葉を話せるようになるまで時間がかかることや、AIが様々な事象を認識し関係性を掴むのに、膨大な情報とディープラーニングを必要とするのも同じことだ。
なぜ、再びこんなことを書いているのかというと、つい先日、授業で「B’zを知っているか?」という話題が出たのだが、とある生徒が「そんなの知るわけないじゃん。世代が違うでしょ。」と言っていた。
(まあ、言い方もかなりアレなんですけどね・・・)
その生徒は名前すら聞いたことがないと言っていたのだが、ハッキリ言って日本国内で普通に生活をしていれば必ずどこかで見聞きするレベルの単語(名詞)である。
テレビを見ていればCMで流れてくることもあるし、世界水泳のたびにテーマソングとしてアホみたいに流れてくる上に、エンタメ系のニュースでも取り上げられることもある。
(まあ、うちはテレビないですけどね…)
目から入ってくる「情報」や耳から入ってくる「情報」に対しての感度が鈍いことは、「学力」と大いに関連性があると思う。
(これは、自分の興味がない「情報」に対する感度と言ってもよいかもしれない)
その生徒は定期テストの際にも、「ここしか出ないって言ってた!」という趣旨の発言をよくするのだが、あまり賢い選択ではないように感じる。
というか、勿体無い。
というのも、当然1回よりも2回、2回よりも3回、その情報に触れたほうが定着するわけであり、単に目の前の定期試験に出ないという理由だけで、みすみす貴重な1回分を自らドブに捨てるのはナンセンスであるだけでなく、どうせその先の入試や北辰テストには出る可能性があるわけで、目の前にぶら下がっているエサしか見えていないかの如く振舞うのは、如何なものか?と感じてしまうわけです。
人間は自分が見たいことしか「見えない」し、聞きたいことしか「聞けない」というのはもはや常識になりつつあるが、所謂「頭の良い」人は、そこら辺のアンテナの張り方が上手く、情報の紐づけを無意識または意識的に行っている。
以前書いた「予想しながら聞く」☟ というのは、そういった思考回路が発現したものと考えることもできる。
こういった「姿勢」を植え付けるために、日々の授業において生徒にツッコんだり、なだめたり、すかしたり、たまに怒ったりしているわけです。
中3に関して言えば、残り2か月にはなってしまったが、今まで同様継続してそこら辺の「情報の横断と縦断(深度)」といったことをより追及していきたいと考えている。
中2は、今の段階で、まあまあ人の話を聞ける生徒がいるので、今後1年をかけて仕上げていければよいのではないかと思う。
冬期講習も折り返し地点を迎えたが、今までのところはまずまず順調だといえるだろう。
今年も終わりですが、皆様もよいお年を迎え下さい。
(唐突な挨拶で恐縮です)
追記
ちなみに、皆ミスチルは知っていた。
全く関係ない話なのだが、私はラブソングには「一緒にいてあげる」系と「一緒にいてほしい」系があると考えていて、ミスチルの桜井さんが前者、B’zの稲葉さんが後者だと考えている。
Aikoさんなんかも後者ですね。
どれも「世代が違う」歌手ですが…(^_^;)
個人的には、後者のほうが好きだ。
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