うちのエースさんが、なかなか問題集の解説を読んでくれません。(-.-;)
以前の記事にも書きましたが、☟
正直言って、解説をしっかり読まないというのは、最悪の勉強法だと私は考えています。
というか、勉強にすらなっていない。
よく、「自分で悩んで考えてみることが重要だ」という言説がありますが、皆さんこの言葉を誤解しています。
いくら考えても「わからない」ことを「考え」続けた先に何かあるのでしょうか?
「考える」という行為は、自分の頭の中にある知識をスキャニングし、分類し、整理したうえで、複数の知識を組み合わせて、ある結論に到達するという行為です。
無から有を生み出す行為ではないのです。
仮に「考える」ための知識が予めインストールされていないとしたら、そもそも「考える」ことは出来ないのです。
訳も分からず、テキトーに出した結論は単なる「妄想」にすぎません。
数学で言えば、答えそのものには何の意味もありません。
単なる数字ですから。
もし、問題を解いていて、ある程度考えても分からないのであれば(というか、問題を見た時に、解法が全く思い浮かばないのであれば)、
まず、解説をキチンと読み、理解し、プロセスをしっかりトレースした上で、もう一度自らの手で再構築を図るということが必要になってきます。
そのときに重要となってくるのが、単元や教科を越えた「共通項」の認識です。
これは一つにまとめる力、つまり物事を分類整理し抽象化する力とも言えます。
これは以前の記事でも触れましたが、☟
まあ、ここら辺は「地頭の良さ」と直結してくる話なので、すべての生徒が実行できる話ではないかもしれません。
しかし、そんなに複雑な話という訳でもありません。
意識付け次第で改善していく可能性もあります。
例えば、先日、中2の歴史の演習をしているときに、「武家諸法度」は覚えられるのですが、「禁中並公家諸法度」がなかなか覚えられない生徒さんがいました。
「禁中並‥」までは言えるのですが、その後が言えません。
そこで、「武士だから武家じゃん?」じゃあ「天皇や貴族のことは何て言うの?」と尋ねたところ、その生徒は「公家」と答えてくれました。
「武家諸法度」と「公家諸法度」
…構造は全く同じなのですが、その生徒さんには「共通項」を意識したりする心の習慣がないのです。(;^_^)
私は、てっきり「公家」という言葉を知らないので覚えることが出来ないのかと思っていましたが、言葉を知っていても、それらを「結び付けて考え」ていない。
これは普段から、「ハイ、問題解きました~。丸付けました~。宿題やりました~。チャンとやってありますよね~。私、良い子でしょ~?文句あっか?あ~ん?(笑)」という、形式的に終わった風にすることに軸足を置いた「見せるための勉強」に終始しているということを示しています。
(とはいえ、以前よりも「考える」習慣は確実についてきていると思います。授業中にもそこら辺の話は、本人にもちょくちょくしているので)
「新たな知識を獲得し、それを既知の知識と結び付け、共通項を見つけ出し、思考の幅を広げていく」ことが「勉強」の本義だと思います。
まず、「見せるための勉強」を脱却し、「何かこれと似たような話があったかな?」という意識を持って、「共通項」つまり「類似性」を認識できるように、常に自分の頭の中を検索する姿勢を持つことが大切です。
これを一言でいえば、思考停止に陥らないということですね。
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