以前、書きましたが、☟
何も調べず、丸付けもせずに「問題を解くこと」は「落書き」しているのと全く同じです。
学校のワークの「提出文化」の悪影響なのか、「よくわからないけど、空欄が埋められている状態」を作ることが勉強だと思っている生徒さんが少なからずいます。
考えてみて下さい。
例えば、以下の文章を訳すという課題があったとしましょう。
На мою просьбу объяснить происходящее он начал угрожать мне применением насилия. При этом я был с коляской с ребёнком, и если бы не это, то я не знаю, чем всё могло бы закончиться.
辞書も使わず、文法知識もなく、何もわからない状態で「訳して」いったところで、何か得るものがあるでしょうか?
それは勉強になるのでしょうか?
10分かけて、テキトーな「文章」をデッチ上げたところで、何の意味があるのでしょうか?
ただの時間の無駄ですよね?
要するに、落書きしているのと全く同じです。
仮に、ワークを2時間かけて、訳も分からず「埋めた」としても、得られるものはほとんどないといって良いでしょう。
これで、「あ~!今日は2時間も勉強しちゃったよ!俺、偉いなあ。」と思っているとしたら、それは大きな勘違いです。
ほとんど何も身についていません。
問題を解くときは、
①調べる
②こまめに丸付け(チェック)をする
ことが非常に大切です。
0コメント