植竹中の数学の宿題が多すぎる。
『授業のプリント』
『ワーク』
『冊子』
『週末プリント』
という4種類の課題が基本的に出されているのだが、その出し方と量が酷い。
『冊子』というのは教育開発の『新中学問題集』(所謂『新中問』)を丸々コピーした代物なのだが、
解き方を解説してある「例題」を省いて、「問題だけ」をズラズラと並べた挙句、解答は「答え」だけで「解説」を一切付けていないという意味不明ぶりなのだ…。
(ちなみに、ここでは「著作権」云々の話はしない。学校での「著作権」の扱いはかなりグレーゾーンが広めに設定されているので、そこら辺のことは私自身としては問題視していない)
『新中問』が非常に素晴らしいテキストであることは疑いようのない事実なのであるが、率直に言って偏差値60以下の生徒には扱え切れない内容と量だと言えるだろう。
つまり、学校においては80%以上の生徒にとって必要のない代物だということだ。
挙句の果てに、「例題」も「解説」も載っていなとなれば、「解法」の確認もセルフチェックも出来ない。
何の為に問題を解くのか?という意義すら見いだせない生徒が大半であろう。
同様に、『週末プリント』にも「解説」がなく「答え」だけしか載っていない。
ご丁寧に「わからない問題は自分でじっくり考えるか、他人に聞く習慣をつけましょう」との文言がついているのだが、「考える」ことの意味が全く分かっていない。☟
こうした課題の出し方は、
ハッキリ言って、正常な判断力を有した人間がしている行為とは到底思えない。
(どうやら、これらのプリントはかなり前から植竹中の数学教師に代々受け継がれてきたものらしく、数年前から同じプリントが宿題として出されているらしい。真相は定かではないが…。前例主義といういかにも公務員らしい思考回路のなせる業と言ったところであろうか…)
教師は「いつでも質問に来てよい」と言っているらしいのだが、先日当塾の生徒を質問に行かせたところ、『新中問』の解説を読んで終わったとのこと…。
「なぜその式が立式されるのか?」といった説明は一切なされなかっただけでなく、途中の計算方法などもスッ飛ばして、「面倒臭いから後は計算しておいて」と宣ったらしいのだ…。
頭は大丈夫なのだろうか?
その生徒が「解説を載せない理由」を尋ねたところ、
「何が起きると思う?」
と逆に質問されたらしい。
…いや、
「何も起きねーよ!」
である。
寧ろ、理解できる生徒が増えるんじゃね?というのがまともな人間の発想だと思うのだが、その先生曰く「解説を写す生徒が出てくる」ということらしい…。
…え?
である。
最初からやらない生徒にとってみれば、「答え」を写すか「解説」を写すだけの違いしかない。
上記の話で最大の問題点は、
勉強があまり得意ではないが、真面目に課題に取り組もうとしている生徒にとって害悪でしかない
という点だ。
「解法」も「解説」もない課題を大量に与えられると、他の教科の勉強時間が削られてしまう。
実は、昨年植竹中の生徒で「数学が得意」だという生徒が11月に入ってきたのだが、結局、北辰テストでも入試本番でも、以前からうちの塾にいた生徒の数学の点数を超えることは出来なかった。
5科の得点は言わずもがなである。
ハタ迷惑な話だ。
こういった教師はまともに勉強をしたことがあるのだろうか?
意味が分からない。
実は、数学の定期テストの問題で、過去の定期テストと全く同じ問題が出題されているらしいのだが(これは植竹中だけの話ではない)、それこそ
「何が起きると思う?」
である。
せめて数字くらいは変えて出題してくれよとは思うのだが、そういったことは全く気にならないらしい…。
「学校」の担うべき役割を果たす気が無いのであろうか?
謎だ。
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