たまに、問題集やプリントに載っている問題を、頭から解かずによくわからない順番で解く生徒がいる。
本人に尋ねると、
「いや、わかりそうな簡単な問題からやって行こうかなって思って」
などという返事が返ってくることが多い。
しかし、私個人としては、こういった行為に意味があるとは全く考えていない。
問題集を作る人間が一番悩み工夫するのは、問題のチョイスと配列である。
そして、解説解答。
どのレベルの問題をどういった順番でどの程度の量、配置すれば良いのか?
といったことで一番頭を悩ませ工夫する。
(そこで、力尽きて解答解説が雑になっているものも多い。答えしか載っていないとか…)
つまり、問題集の頭から順番に丁寧に解いていけば、一番効率よく頭の中で情報が整理され定着するように作られているのである。
その順番を(私から見れば)訳の分からない理由で勝手に変えるという行為は、わざわざ自分からメリットをドブに捨てるようなものだ。
全く意味が分からない。
また、「わからない問題は飛ばす」という、これまた(私からすれば)意味の分からない行為をする生徒もいる。
分からないのであれば、その場で解説解答を確認すればよいだけの話である。
「飛ばす」という行為にいったい何の意味があるというのであろうか?
普通、確認を後回しにすれば、問題の記憶が薄れて理解することが困難になるはずである。
自分の記憶力に余程の自信があるのだろうか。
これまた、全く理解できない。
(まあ、最初から考える気がない、もしくは面倒臭い、と言った理由なのでしょうが…)
そして、1度目に解いて分からなかった問題は、解説解答を熟読した後にその場で解き直しをして、後日覚えているかを確認するために再び解き直しをすればよいだけの話である。
本当に出来るようになりたい!と考えているならば、自然とそのようなスタイルに落ち着くはずである。
(もちろん、全ての問題を一度見ただけで解けるようになってしまう「天才」か、もしくは、最初から出来るようになりたいと全く考えていない両極端な生徒は除く)
学校などで答えの数字しか載っていないプリントが配られた場合、塾などで分からない問題の解法を聞いてほしい。
そういう生徒からは、「出来るようになりたい!」という強い意志を感じられる。
(別に、塾である必要はなく友達でも学校の先生でもよい。寧ろ学校の先生に聞いた方が「内申」を考えた場合、有利になることが多いので良いのかもしれない。)
そういう生徒が増えてくれると非常に嬉しく感じるし、また、そういった生徒を増やしていかなければならないと感じた日曜日であった。
追記
日曜日に、午後から夜10時までぶっ通しで勉強してくれたOさんの頑張りには頭が下がる思いだ。
こういう生徒の成績をしっかり上げていける塾でなければならないとも感じた。
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