本日、2回目の体験授業に来て頂いた生徒さんが、そのまま入塾してくださる運びとなった。
ありがたいことだ。
とてもしっかりした印象の生徒さんなので、将来が楽しみである。
上記のブログ☝の最後にも触れたのだが、少し気掛かりなこともあった。
面談などで、当塾にお問い合わせをして頂いた理由を尋ねたときに、「個人塾なので生徒との距離感が近いから」と仰る保護者様がたまにいらっしゃる。
正直、私自身は「生徒との距離感」なるものが当塾の「強み」だとは考えていない。
勿論、生徒全員の動向が把握できる様に人数を絞りコンパクトな佇まいにしている部分はある。
(床面積などの物理的な側面は、単に予算の都合ではありますが…)
ただし、私自身に指導力がなければ、「生徒との距離」が近かろうが、何の意味もないのである。
(というか、生徒からしてみれば「ただのおっさん」との「距離感が近い」などというのは、寧ろいい迷惑なのではないだろうか?)
当塾が売りにしているのは、あくまでも私の「教務能力」であり「観察眼」であり、すなわち「指導力」だ。
(勿論まだまだ修行中の身ではあるが…)
それを存分に発揮するためにコンパクトさを保っているに過ぎない。
そして、「生徒との距離」という言葉が保護者の方から出てくるときにイメージされていることは、恐らく「生徒に寄り添う」ことである場合が多いのではないだろうか。
個別指導塾などでは、この「生徒に寄り添う」という言葉がキャッチフレーズというかキーワードになっていることは間違いがない。
彼らは、生徒にとっての「居場所」になることで、大手の集団授業塾などに「あわない」生徒を取り込むという戦略で塾を運営している。
それはそれで立派な戦略であり、他人の私がとやかく言うべきことではない。
しかし、私には、
この「生徒に寄り添う」という発想は全くない。
甘やかすことと同義であるとすら考えている。
勿論、成績を上げたいと本気で思ってはいるものの(ちなみに、本気でそう思っているのなら行動に出ます。少なくとも勉強時間が長くなることに対して嫌がったりはしません)、現時点での能力が追い付かずに足掻いている生徒にはトコトン付き合う。
しかし、「生徒にやる気が出ない」ので、「寄り添い」ながら「生徒のやる気が出るまでじっくり待つ」というようなことにはほとんど意味を感じていない。
理由は簡単で、入試を考えた場合プラスに作用する部分がほとんどないからだ。
例えば、「自分はのんびりした性格だから」という理由で、自分だけ試験時間を長めにとってもらえるなどということはない。
あるいは、「自分は集中力が続かない性格だから」という理由で、自分だけ問題数も時間も半分にしてもらえるなどということもない。
入試は「画一的」に行われてこそ「公平性」が保たれる。
そこに「多様性」の出る幕はない。
自分自身を制度に「合わせる」必要があるのだ。
そういった訓練をせずに自分の都合を優先するという選択を積み重ね続ければどうなるか?
結果は火を見るより明らかだろう。
こういったなかなか「本気」になれない生徒のそばには強力な「補助者」がいる場合が多い。
正直、個人塾の力でどうにか出来るレベルの話ではない。☟
私が考えているのは、各生徒の成績を最大限伸ばすことだ。
そのためには、生徒自身にも、多少歯を食いしばってでも喰らい付いていこうという気構えが絶対に不可欠だ。
勿論、最初からメラメラと燃えている必要はないが、少なくとも当塾でしばらく過ごした後に何らかの心境の変化が見られなければ困るし、そうなる様にあの手この手は打っていく。
しかし、最初から「勉強をしなくてもよい」という選択肢を提供する気は全くない。
それは他の生徒たちの士気にも関わることだからだ。
従って、当塾では退塾規定を設けて「勉強したくない」と考えている生徒には、ご退場願うことにしている。
恐らく、生徒にとってもツライだけなので。
世の中には様々な塾がある。
良い意味でも悪い意味でも、当塾は単なる「選択肢の一つ」に過ぎないのだ。
(勿論、なるべく多くの人に「選択」して頂けるように努力していくつもりではあるが)
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