結果(Product)に囚われ過ぎている

先日の水曜日に、英語の文型を軽く扱ったのだが(というか、今までも折に触れて文型の話はしてきた。特に語順や目的語の話などは念入りにしてきたつもりだ)、未だにうちのエースさんが「英語の文型を考える」=「英語を構造的に見ること」が出来ていない様子だったので、昨日の授業で5文型を本格的に扱った。


結論から言えば、全く理解していなかった。

それだけならまだ良かったのだが、気になる点が何点かあった。


まず、未だにこまめに丸付けをしない。

正確に言えば、「丸付け」をしないことが問題なのではない。

もし問題を解いている途中でモヤモヤしたなら、すぐにその場でそのモヤモヤを解消すべきなのだ。

なぜ平然と次の問題に進めるのか? 次の問題が類題だと気づかないのだろうか? よくわからない状態で解き進めたとして一体どの程度の学習効果が得られるというのか? そういったことを考えないのだろうか? 

丸付けに関しては下記の記事☟をお読みください。


昔、個別指導塾の授業で、

「えぇ~!なんで丸付けしてないのぉ?先生、この前何て言ったぁ?丸付けまでが宿題だって言ったよねぇ?もおぅ~、次からは絶対に丸付けまでしてこなきゃダメだからねぇ!」

と言っていた講師がいた。

(まあ、講師研修で私がその講師に「生徒には必ず丸付けをさせて下さい。じゃなきゃ問題を解かせる意味が全くないので」と伝えたからなのであるが…。そして大体わかるとは思うが、注意されていたその生徒は成績が芳しくない生徒であった…)

私はその光景を横目で見ながら、

「仮にこの生徒が形式的に『丸付け』をしてきたとしても成績はビクともしないだろう。『表面的にやってある状態』(つまりタイトルのProduct)を作り出すことにしか興味がない生徒に、『形式的に』注意したところで何の意味もないんだが。」

と思いながら自分の授業をしていた。

その後、一応「丸付け」をしてくるようにはなったようだが(安定の全部丸です)、全く成績が上がらず、親御さんからクレームが入り、結局私がその生徒を担当することになった。

(もちろん、その後成績は上げました。)

正直、中学生に対して幼稚園児を相手にしているかのような注意の仕方自体が私の趣味に合わない部分もあったのだが(しかし、こういった対応のほうが生徒受けが良い場合が多い。ビックリである…)、そういう問題ではない。

ことの本質は「問題を解くことや丸付けを作業化させるな!」という部分にある。

しかし、不思議なもので、世の中には「宿題をやったこと」「ノートを綺麗にとったこと」「丸付けをシッカリやったこと」「答えを全部覚えたこと」といった結果のみを誇らしげにアピールしたがり、「自分が本当に理解しているか?」「今この場でもう一度解くように言われても瞬殺できるか?」「他人に説明できるほど習熟しているか?」といった肝心の中身にはほとんど興味を示さない人種がいる。(しかもかなりの数)


そういったマインドを変えない限り成績は上がらない。

そして、この考え方を変えるのは相当なエネルギーが必要だ。


なぜ、こんなことを長々と書いているのかと言うと、気になった点の2つ目に関係している。

文に下線を引いてS , V , O , C , M に分類しながら文型を識別していくという問題において、

Please  ….  という命令文があった。

(ちなみに、「文型を識別すること自体に意味があるのではなく、文の要素をカタマリとして捉え、ザックリと意味を掴むことに意味がある」ということはずっと強調して伝えているつもりだ。特に1文が長くなってくればくるほど大切なことであると)

この命令文の「主語」に関しておかしなことを書いていたのだが、それを見て「命令文の作り方」についてうちのエースさんに説明を求めた。

「主語をとって、動詞を原形にする」

それだけの話なのだが、それが出てこない。

具体的に命令文をつくるプロセスを見せても、それを言語化することが出来ない。


しかし、「命令文」を書くことは出来る。

要するに出来上がったもの(=Product)を覚えることのみにフォーカスしてしまっている状態なのだ。

それでも、定期テストなら十分点が取れるからだろう。


それではダメだ。十分ではない。

レベルが上がったら絶対に行き詰まる。

そういったことを踏まえて、今までずーーーーーーーーと、プロセスを重視するように言ってきた。

私の言う「丸付け」においては、マルかバツかなどハッキリ言ってほとんど無価値といっていい。

そんなくだらないことを確認する前に確認するべきことがあるのだ。

自分が正しい筋道で思考できているか? まず確認すべきはそこだ

小学生の計算ドリルを解いているような感覚でいてもらっては困るのだ。

(とは言え、大分変わってはきましたが…)


物事を要素に分解して、その要素を十分に吟味した上で再構築する。

その過程で「理解」が生まれ、記憶を根付かせ、「使える知識」とすることが出来る。


実は、最近入塾してくれた生徒はまだまだこの「ドリル感覚」が抜けきっていない。

恐らくその状態で入試に突入していく可能性が高い。

言葉の力だけで短期間のうちにこの習性を変えるのはほとんど不可能だからだ。



…といったことを、先ほど英語のプリントを作っているときに思い出してしまったので、つらつらと書いてみた。

あまり過激なことは書かないように注意したつもりですが、どうなのでしょうか。

あとで関連記事のリンクを貼りに戻ってくるかもしれません。

現場(こたつの中)からは以上です。

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