たまに(というか、よく)、
「数学さえ上がれば、他は何とかなるんで・・・」
「英語がとにかく苦手で・・・、他は何とかなるんですけど・・・」
といった話を面談などで聞くことがある。
正直、この認識は危険だと思わざるを得ない。
(特に、中間期末の点数を基にこういった話をしている場合、危険度がマシマシである)
というのも、中学校の勉強では、5教科全てが地続きだからである。
どれか1教科だけ他の教科と求められる能力が著しく異なっていることはないのだ。
従って、ある一つの科目が「苦手」な場合、実は他の科目において、目に見える形で問題点が露見していないだけであるというケースが少なからずある。
それでは、なぜタイトルのような話が出てきてしまうのか?
それは、科目によっての難易度のサジ加減がバラバラだからである。
以前☟、全ての能力を測ることのできるテストなど存在しないと書いた。
仮に、国語の得点が低く数学の点数が相対的にとれている生徒がいたとする。
しかし、その生徒は「数学」が出来ているわけではない。
単なる計算が出来ているだけ、という場合がほとんどだ。
数学の問題の中で、本当に基本的な「読解力」を試される問題が出てきた時でさえ、途端に間違えるか思考停止を起こしてしまう。
(ちなみに、中間期末や北辰テストでの国語は、問題の作りが最も簡単になっている場合が多いので、北辰レベルの読解パートが出来ない生徒は相当ヤヴァイと考えたほうがよいです…)
また、本来なら理数系科目であるはずの理科などは、中学範囲に限っては、ほぼ暗記科目と化してしまっている。
基本事項を覚えるというスタイルは、社会のそれと何ら変わりはなくなってしまっている。
それどころか、ストーリーを組み立てて流れを掴みながら覚えていくという作業が苦手な生徒にとっては、社会のほうが難しく感じることもあるようだ。
というのも、理科のほうが覚えることの量が少ないうえに、図などと照らし合わせながら覚えることが出来るので、定着率が若干上がるようなのだ。
(ちなみに、私の印象だと、勉強が極度に苦手な生徒は理科よりも社会を苦手とする場合が多い)
要するに、社会よりも理科のほうが得意だと思っていたら、単に「知識を整理しながら覚えていく」という、勉強をするうえで非常に重要で基本的な作法が全く身についていないことに起因する錯覚である、というケースが非常に多いのである。
基本的な「読解力」を身に付け、情報を整理しながらテキストを読みこなし、理解した上で覚えるべきことは覚え、「類似性」のあるものは一括りにして記憶に留め、必要なときに個々の事象に当てはめる。
勉強で必要な能力はそれだけだ。
そこでは、基本的な「読解力」が必要になってくるし、「法則性」や「類似性」などを読み取るための「物事を抽象化する力」、そして「法則を個々の具体的な事象にあてはめ運用する力」が求められる。
従って、テストの点数だけを見て、「この教科は得意」「この教科は苦手」といった判断を下すことには、強烈な違和感を感じざるを得ないのである。
(学校の中間期末に特化して、ワークを何回も繰り返して「暗記」するという1問1答的な勉強スタイルが染みついてしまっている生徒にとっては、なかなかハードルの高い話になるのかもしれませんが…)
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