そんな御大層なレベルの話ではないのですが、授業をしていて思考停止って恐ろしいなとつくづく感じてしまいました。
今まで生きてきた中での一つ一つの行動の選択の積み重ねが澱のようにたまって、精神構造や行動パターンにこびり付いてしまっているのかな?と。
自分でも気付かないうちに、思考も行動も浸食されてしまう。
まあ、環境的な部分も含めての話ですが。
以前、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』の著者の対談動画を見たことがありました。
IQテストの話題になった時に、対談相手が、
「なんか、IQ(知能)テストに『〇〇を知っているか?』みたいな単なる知識問題が含まれてるのって意味がない気がするんですよ。『知識量=頭の良さ』ではないでしょう?」
と、テストの方式自体に疑問を投げかける場面がありました。
それに対して、安藤さん(本の著者です)は、
「いや、ある年齢に達した時点での知識量というのは、知能(IQ)と正の相関関係が認められています。」
と答えていました。
実は私も、以前は質問者と同じように考えていました。
というのも、例えば「生まれたばかりのアインシュタイン」と「私」を比べて、「どちらが頭が良いか?」と質問された場合、私は間違いなく前者を選ぶだろうからです。
(とてもじゃないけど、「私」の方が「頭が良い」などとは言えませんね。)
単純な知識量で言えば、圧倒的に「私」の方が勝っているはずなんですけど、「頭の良さ」と言うのは、単なる「知識量」で測れるものではないものであり、寧ろ「知識量」は「頭の良さ」とはあまり関係がないと考えておりました。
ただ、最近思うのは、五感で感じることの出来る「情報」への「感度」みたいなものが「地頭の良さ」と密接に関係しているのかな?と考えるに至っております。
まあ、別段目新しい話ではありませんが。
人間は日頃からニュースなどの様々な「情報」に接しているわけですが、普通に生活していたら見聞きするであろう情報を「キャッチ」出来ていないというのは、やはり「知能(IQ)」に関わってくるということなのでしょう。
これを「知的好奇心がある・ない」「無意識下での情報の処理能力が高い・低い」といった表現で表すことも出来るのでしょうが、何にせよ「頭の良さ」と関わってくるのは間違いがありません。
(ただし、やはり「物知り」=「頭が良い」という単純な話ではありません。「無意識下での」というのがポイントです。)
学歴に関係なく大人になってから成功されている方々などは、こういった全方位に向かう「情報への感度」が元々高い方々なのだと思います。
そこから、対象を上手く絞り込めることが出来れば、自分の持っているリソースを効果的に投下して成功できるのでしょう。
最初から「情報」をスルーしている人間には出来ないことかな、と。
但し、以前にも述べましたが☟、
全く打つ手がなく絶望するしかないという訳ではなく、この「情報に対する感度」というのはある程度鍛えることが出来ますし、IQ(知能)も教育によって上がることがデータによって証明されているようです。
タイトルと全く関係ない話になってしまいました…(笑)
「無意識を意識化する」話はここに少し書いてあります。☟
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