たまに、「自分は全然ダメだ」とか、逆に「俺はかなり出来ている」などと口にする生徒がいます。
しかし、ちゃんとした勉強(単なる一問一答的な丸暗記的勉強ではなく)をしていると、自分を客観的に見つめることが出来るようになってきます。
そうすると、むやみに自分を卑下したり、逆に自己を過信したりする度合いが減っていきます。
私が以前、どうしようもない人間だったことはブログでも書きましたが、☟
中3の2学期に、友達との何気ない会話の中で、自分の意識が驚くほど変わっていたことに気付くという体験をしたことがあります。
クラスメイトの一人が「お前、今回のテストどうだった?」と私に尋ねてきたのですが、私が答えようとした時に、私の幼馴染のY君が、「どうせお前、『俺なんか全然ダメだよ~』とか言うんだろ」と言ってきたのです。
私はその時、何が出来て何が出来なかったかを答えるつもりだったのですが、幼馴染のY君からそのように言われたことによって、自分の意識が変わっていることに気付きました。
そうなのです。確かにそれ以前の私は、やたらと自分を卑下するようなセリフを吐いていたのです。
しかも、内心では「俺は実際には頭は悪くない。ちょっと本気出せば余裕」などと考えながら…。
(ガチのクズだったなと思います…)
しかし、勉強するにつれて、不思議とそういった言葉は吐かなくなりました。
恐らく、自分に何が出来て何が出来ないのかを知ることが出来るようになったのだと思います。
つまり、自分の現在位置をある程度把握し、自己を客観視する視座を手に入れることが出来たのだと思います。
(これは大学受験の時に非常に役に立ちました。本番から自分のその時の実力までを逆算して、何をやれば良いのかを自分で計画立てて勉強することが出来たからです)
自己を客観視出来始めるから勉強が出来るようになるのか?、勉強が出来るようになったから自己を客観視出来始めるようになったのか?、は定かではありませんが、『敵を知り己を知れば百戦危うからず』という言葉があるように、この2つの間に何らかの相関関係があるのは間違いがないと思います。
と、同時に、勉強をすればするほど、雪だるま式に分からないことが増えてくるのも事実です。
正直、ほぼ毎日、「どうして俺はこんなにアホなのか?」と思うことばかりです。
そう考えているのは自分だけなのかと思っていたら、やっぱり他の人もそう考えているのだということを知って安心した記事を以前読んだことがあります。
(数年前に、twitterで流れてきた東大生のブログだったのですが、検索しても見つからなかったのでリンクは貼れませんが…)
以前読んだ本では、フィリーズ賞を取っている数学者でさえ「自分は天才などではない。寧ろ凡人だ。」と言っていると書いてありました。
ならば、本物の凡人である我々は、多少分からない問題があっても、気にせず、投げやりになる訳でもなく、地道に歩みを進めていけば良いのだと思います。
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