前回までのあらすじ
怠惰な生活をしていた山田少年は、親に連れていかれ塾の授業を受けることになり、そこで怖い英語の先生と対峙したのだった。
山田少年は、出された宿題をやらずにとうとう次の英語の授業の日を迎えてしまった。
さて、あの怖い英語の授業がある日を迎えてしまったわけだが、山田少年は出された宿題に全く手を付けていなかった。
部活から帰ってきたのが6時過ぎだったと思う。
塾が始まるのは7:10(これは正確ではないかもしれないが)からなのだが、自転車での移動時間を考えると、山田少年に残された時間は40分くらいであった。
夕飯は塾から帰ってきてから食べることにしたので(パンくらいは食べたかもしれないが全く覚えていない)、宿題をやる時間はまだあった。
しかし、山田少年はすぐには宿題に手を付けなかった。
何をしたのかは全く覚えていないが、時間は10分、20分と無駄に過ぎていった。
そしてついに、塾に出かける5分前に、ようやく山田少年は宿題となっていたテキストとノートを開いた。
塾の先生の指示は、「問題部分だけでなく、ノートに全文を書いてやってくる」というものだったが、当然そんなことをしていては終わらない。
それどころか、当然考えている時間もない。
そこで山田少年は、答えを写す(しかも答え「だけ」)という姑息な手段に出た。
「え?あ、全文書いてやるんですか?知りませんでした。」とかテキトーな言い訳をすれば何とか乗り切れると考えていたのだった。
非常に「怖い」先生だと分かっていたにも関わらず。
しかし、この数十分後に、山田少年のそんな腐りきった大甘な考えを木っ端みじんに吹き飛ばす光景を、彼は目の当たりにするのだった。
つづく
ちなみに、この先生は東京外語大学出身のO先生という方だったのですが、私を変えてくれた人生の恩人です。
ただの厳しい先生ではありません。
生徒の理解度によって、発問や情報伝達の強弱を自在に変え、知識の深度、広がりをその場でコントロールしながら、生徒の理解を深め知識を定着させていくスタイルに、僕は中学生ながら魅了されました。
自分で勉強している時もそのモノマネをしながら、「自分で自分に授業」を行いながら勉強していたほどでした。
後に、大学生時代に塾講師のバイトを始めた当初は、O先生の授業スタイルをほぼパクって授業を行っていたと言っても過言ではありません。
そのおかげで、僕は1年目からその教室の核として活躍することが出来たのです。
O先生には、今でも感謝しています。
この場で、お礼を述べさせていただきます。
本当にありがとうございます。
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