本日、中2に「少しややこしい小問」を解かせてみた。
北辰テストで正答率が20%を切る問題を集めた感じだ。
今回は「文字と式」に関する小問だったのだが、実際に解かせて解説してみた感触としては
マズマズといったところだろうか。
(まあ、「この時期にしては」という但し書きは付くが…)
「文字と式」の少しややこしい小問に関して言うと、日本語を正確に読み取って式で表現するという能力が求められる。
まだまだ日本語が怪しい生徒が複数名いるのだが、解説を聞いている様子を見る限り絶望的な生徒はいなかったように感じる。
ただ、最近入塾した生徒さんは、解説を「聞けない」状態がまだ続いているという印象だ。
よく、「授業だけでは成績は上がらない」「実際に問題を解いている時が一番成績が上がる」といったことがまことしやかに語られているが、これは半分正しくて、半分は間違っている。
理由は簡単で、「他人の解説をまともに聞けない人間」が、「自力で解説を読んで理解し、自分の間違いを修正する」ことは不可能だからだ。
話し言葉で親切丁寧に説明をされても理解出来ないのに、無味乾燥な文字だけの解説を理解出来るわけがない(…というか、まともに読もうとすら思わないかもしれない)
まずは、「解説を聞いて理解できる状態にする」
その先に、「自力で解説を読んで理解出来るようになる」という状態がある。
いつも生徒に言っているのだが、
私が解説をするのは、1回聞いて理解してもらいたいからではない。
(まあ、それが出来る生徒さんも少数ながら存在するが…)
自力で解説を読めるようにするために私は解説をしている。
全く見たことも聞いたこともない概念を理解し、自分のものとすることは非常に困難だ。
この記事でもそういった話を書いた。☟
「既に知っていること」
「ある程度理解していること」
そういったことしか「読み取る」ことが出来ないし、「考える」ことも出来ない。
更に、それを血肉化するために、何度も「考え方」や「着眼点」を確認する必要がある。
(ちなみに、上記の「反復」に関しては、
「理解無き反復はほぼ害悪でしかない」
という点も強調しておきたい)
次に自力で解き、躓いた時に「考える」取っ掛かりとして私の解説は存在している。
私が生徒に「ツッコミ」まくるのもそういった理由だ。
人の話を聞き、適切に反応出来るようになれば、自ずから成績は上がる。
逆に言えば、そういった所作が身についていない状態でいくら問題演習をしたところで全く意味はない。
まずはそこからだ。
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