現在、小6の算数では「正負の数」の「累乗」を扱っている生徒さんがいるのだが、やはり苦戦している。
この「累乗」は、多くの生徒さんにとって最初の鬼門と言っていいだろう。
中3生でも勉強が苦手な生徒さんだと、4²と4×2を混同してしまうという現象がたびたび生じる。
定番の間違いとしては、(-3)² と-3² を混同してしまうといったところだろうか。
勿論、特に躓くこともなくスッと通過してしまう生徒もいるが、やはりそうでない生徒さんの方が圧倒的に多い。
そうした間違いを生じている生徒さんに特徴的な仕草がある。
皆、なぜか「宙を見ながら」「考えよう」とすることだ。
今「考えよう」とすると書いたが、大抵の場合、例題として全く同じ問題が載っていることが多い。
上述の (-3)² と-3² などは正にそうだ。
目の前にやり方が書いてあるにもかかわらず、なぜか確認しようとしない場合が圧倒的に多い。
「~だと思って…」というセリフを伴いながら…。
これはなかなか深刻な問題を孕んでいる。
私は、「単元学習の初期段階では、① 常にやり方を確認しながら、② こまめに丸付けをする必要がある」ということを口を酸っぱくして言っているのだが、なかなか伝わってくれないのが大変歯痒い。
① まず、解法を常にチェックしようという意識は、個々の問題がどういった法則を基に成り立っているのか?といった帰納的な思考回路を育てるための重要な土台となると私は考えている。
解いたこともない問題を見て、いきなりその法則性を見抜くことは困難ではあるが、自分が今解いている問題がどの法則に当てはまるのか?を常に考えることによって、「法則」から「個別の問題」、すなわち「抽象」から「具体」へと認識を広げていくことが出来る。
非常に小さなことの積み重ねではあるが、こうした演繹的な処理を繰り返していく過程で、その逆である「個々の問題」から「法則性」を見つけ出すという帰納的な思考回路が身についてくるのではないだろうか。
賢い子というのは、そういったことが自然に出来ていることが多い。
しかし、物事というのは0か100ではない。
必ずグラデーションがある。
勉強が苦手な生徒さんでも、訓練によって様々なレベルに到達することが出来るのだ。
一方、賢い生徒さんといえども、「無意識」にやっているのか「意識して」やっているのかでは、やはり差が出てくる。
「無意識を意識化する」することによって、見えてくる世界や物事の習熟度に差が出てくるという話は以前にもした。☟
そして、「無意識を意識化」した後にさらに「無意識化」出来るようになるまで訓練が出来れば最高であるとも。
② 「こまめに丸を付ける」という話に関しては、悩んだ時点でその場で確認するという姿勢が非常に大切だ。
勉強が苦手な生徒は、自分がどの程度の正確さで問題を解けているのか?とう意識がない場合が多い。
「大丈夫?その問題理解できてる?」というこちらの問いかけに対して、
「まだ丸付けをしてないんで分かりません」といった返答をすることが非常に多い。
今自分が迷っているのか?さえも判断で来ていないのである…。
勉強が苦手な生徒さんは、まずその段階を脱することが非常に大切だ。
そのためには「自分がどこで間違えたのか?」をキチンと「指摘される」という体験が不可欠である。
かなり優秀な生徒さんでなければ、自分の力だけで間違いの場所に気付き、修正を加えるということは出来ないからだ。
間違いを指摘された時に忍耐強くプロセスを辿って、何処?で何故?自分が間違えたのか?を確認するという経験を地道に積み重ねていくことが何よりも大切だ。
そういった経験は、勉強が苦手な生徒さんにとっては、時として辛い作業になることもあるが、間違いを否定したり、無かったことにするような言動をとるのではなく、まずは自分の現在地をしっかり把握するという意識で自分の間違いと向き合ってもらいたいと思っている。
0コメント