本日、1次関数の応用問題演習の第1回を行った。
最初に軽く関数の基礎問題(座標のスライドや2直線の交点を利用しながら情報を整理し、三角形の面積や傾きの平行条件、切片の平行移動などや、反比例の比例定数の図形的意味など)を解いた後に、文字置きを利用する問題に入った。
(とはいえ、この時点で苦戦している生徒がいた。まだ、応用問題は早かったということなのかもしれない。応用問題を解かない生徒には、座標や変化の割合、直線の式を求めるような本当に基礎的な問題をやってもらっていたのだが、そういった問題はスラスラできる生徒ではある。要するに、「~を求めなさい」という問いかけが直接的なものであれば「出来る」のだが、自分で情報を整理して正解に辿り着くということが出来ないのである。つまりは思考停止を起こしているということだ。能力的な問題と言うよりも生き方の問題なので、より根の深い問題だといえる。)
座標を文字置きして、線分の長さや面積で方程式を立てて座標を求めていく問題なのだが、2年生から在籍してくれている生徒は2回目となるので、割とスムーズに進めることが出来た。
今日のところは、軸に平行な2点間の距離は「座標の引き算」で表すことができ、x座標なら「右-左」、y座標なら「上-下」という基本を利用して線分の長さを文字で表す練習と、それを利用した「正方形になる条件」の2パターンまで進むことが出来た。
特に、原点からの距離を文字で表すときに注意が必要であるということを強調しておいたのであるが、果たしてどれだけ定着しているかは、まだわからない…。
次回以降確認が必要だろう。
また、勉強の仕方について非常に気になったことがあった。
昨日、「解説をシッカリ読むように!」と強調したばかりだったのだが、全く実行していない生徒がいた。
というか、どうやら「勉強する=問題を解く」若しくは「勉強する=暗記する」という思考回路から永久に抜け出せないタイプの生徒なのかもしれない。
まあ、根気強く徐々に変えていきたいとは考えているが、どうも権威主義的で形式主義的な思考パターンが根本的なパーソナリティーの深いところに根付いているように見える。
解説をシッカリ読むように指摘しても、「あー、ハイハイ」といった態度が滲み出ていた。
(それにしても、私も丸くなったものである。一昔前なら、その場で噴火していただろう。歳を取ったということなのだろうか…)
実は、もう一人そういった生徒がいるのだが、その生徒に関しては、もはや「変える」ということはほぼ諦めている。
その生徒が「解説や説明を読まない」ということを前提にして対応することにしている。
どのような感じなのかといえば、その生徒がミスを犯しそうな箇所や理解できないであろう箇所を全て私が解説しツッコミを入れるという方法論を採っている。
勿論、この方法では限界があるが…。
理解力は非常に高い生徒なので、何とかなっているという感じだ。
ある一定以上のレベルの問題演習において、自力での学習が全く機能しないという事態に陥るだろう。
そうならないためにも、なるべく根本的なところから「思考回路」を変えなければならないのだが、なかなか難しいことが予想される。
(というか、一旦獲得した「思考回路」は廃棄することは出来ないので、新たにバイパスを通して、「新しい思考回路」をつくる必要がある。)
「読めと言われたから読みました」では全く意味がないのだ。
似たような話で、
「そうやれって言われたから、そうした」
「言われてないから、やってない」
ということも全く同じだろう。
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