中3の授業では式の証明を一通り終わらせた。
明日、確認テストをしてみて様子を見てみることにした。
授業としては、多くの生徒が忘れてしまっているであろう「資料の分析」の演習を軽く行った。
こちらの単元も塗り直しが必要となるであろう。
あと、基本的な計算が出来ていない生徒が複数いる。
呼び出してやらせるしかないのであろうか…。
…と同時に根本的な認知能力に問題を抱えている生徒も見受けられる。
これは中3生に限った話ではないのだが、かなりデリケートな話でもあるので難しいところだ。
まあ、常識的に考えれば、個人塾でどうにかできるレベルの問題ではないのだが…。
英語はまずまず順調に来ている。
とはいえ、中1・2の復習を本格的には行っていないので、穴だらけであることは容易に予測がつく。
今日の授業でも「to+動詞の原形」の形を何と言うか?という質問に対して答えられた生徒が一人しかいなかった…。
これはダメなんですよね…。
共通項を見つけて要素を抽出するという発想が全くないという最悪の勉強法から抜け出せていない。
「頭の良さ」は「今までどう生きてきたか?」に直結する部分もあるのでなかなか一朝一夕には変えられないのは致し方のないことではあるのですが…。
イカンですな。
昨日のブログで紹介したAtsuさんは「文法用語は覚えなくてよい派」なのだが、私の考えは少し違う。
「凡人」が英語を出来るようにするためには、最低限の文法用語と品詞の理解は必要不可欠であるというのが私の考え方だ。
理由は簡単で、「凡人」は圧倒的な「量」をこなすことが出来ない。
Atsuさんの様に、24時間365日ひたすら英語のことを考え、英語を使い続け、英語を浴び続ける努力が出来ない。
「凡人」が限られた時間とリソースで真似できるレベルの話ではないのだ。
よく「ネイティブは~」などとしたり顔でいう輩がいるが、英語を浴びている「量」が全く違う。
(しかも、幼少期の人間はいわば「語学の天才」だ。他の年代の人間にとっては再現可能性が全くない)
一時期、日本で「イマ-ジョン教育」がもてはやされたことがあったが(immersionは「浸すこと」immerse「浸す」の名詞形ですね)、あんなものは全くimmerseされていないパチモンだ。
最低限、1日5~6時間英語でひたすら会話し続けるか、独り言を言い続けるかしなければ効果がない。
何にせよ、やらなければならないことは山ほどある。
全然時間足りませんね。
「不要不急」どころの話ではない。
超絶「必要」であり、「時間的余裕」も全くない。
次回のブログで毒を吐かせてもらうとしよう。
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