かなりデリケートな問題なので、ブログに書くかどうか迷っていたのだが、今回のコロナ騒動に関して私個人が感じていることを書こうと思う。
前回の毒吐きブログはこちらです。☟
正直、今更この記事を書くことにあまり積極的な意味を感じていない部分もあるのだが、世間様に逆らって塾を開き続ける以上、その理由を述べておく必要はあるかと思う。
当塾では、1か月間の授業料を無料にすると決めたのだが、その決定には、結果として世間の「空気」に逆らう私のエゴに、生徒や保護者の皆様を付き合わせてしまうことに対するお詫びの意味が込められている。
また、私が塾を開き続けるのは金の問題ではないということを明確に示すためでもある。
(ちなみに、最初にこの記事を書こうとしたのは3月29日だったようだ。前回、「次のブログで毒を吐く」と書いてしまった手前、これを書かないと授業の様子など色々と書きたいことが書けないので、塩漬けにしてあった記事を掘り起こして書いてみました。専門家でも何でもない私が独断と偏見で書いた記事である上に、世間で言われていることとのズレが大きく感情的に許せない部分も多々あると思われますので、暇がある方だけ読んで頂ければ幸いです。)
まず、当塾では緊急事態宣言が出され学校などの休校要請が出たとしても通常授業を行うことを決定している。
その理由を述べておきたいと思う。
① 子供にはほぼ影響のないウイルスであることが既に判明していること。
20歳以下の死亡者は日本国内においてゼロであり、世界的に見ても極めて少ない(というかほぼゼロ)。
日本において、1憶2000万人の中で20歳以下の死者がゼロであるという事実は極めて大きい。
従って「子供の命が~」といった理由で小中学校の休校や保育園・幼稚園の休園をすることに妥当性は全くない。
(この理由を述べる人は最近ではめっきり減ってきましたね。最近では、感染拡大による医療崩壊を防ぐためという理由に世間はシフトしていっているように見えます。まあ、その理由自体は極めて正しいと思うのですが、結論ありきで理由を後付けしてしまうという思考回路がマズいと思うわけです。それでは冷静な判断はできないので。)
本当に「大切な人」を守りたいのであれば、高齢者との接触を避けることが最も重要なことだろう。
それは国から命令されなければ出来ないことだろうか?
(重症化しやすい高齢者の方々や基礎疾患を抱えている方々自身にも、自重というか社会的隔離をお願いする必要があるかとも思うが…)
勿論、この意見に対しては、
「まだ医療崩壊が起きていないから何とか無事なのだ!現場への配慮が全く足りていない!最前線で命懸けで働いている医療従事者の方々に土下座をして謝れ!」
というお叱りのお言葉が雨あられのように飛んでくることは想像に難くない。
しかし、そうであるならば、我々日本人が今するべきことは、入院が必要のない感染者を病院を経由せずに検査をし、一時的に退避させることが出来るように法改正をすることであろう。
エネルギーを使うベクトルを完全に間違えている。
これは感染症の危険性を過小評価しているのではなく、感染症を「正しく恐れる」必要があると私自身が強く感じているからである。
実は当初から、私は新型コロナウイルスの感染者数に関してはあまり重要視していない。
私が注視していたのは新型コロナウイルスによる死者数である。
というのも、死者数に対する感染者数の割合は一定だからだ。
たとえ、感染者数を正確に捕捉出来ていなかったとしても、死者数から感染者全体のおおよその数は把握できる。
これは感染症に関しては当然の話だ。
(もちろん、新型コロナウイルスに関しては、そもそも医療崩壊によって適切な治療が受けられずに亡くなったケースが各国で多発しているので、適切な医療体制が機能した状態での正確な致死率や死亡率のデータは未だとれていないのが現状だ。しかし、日本における新型コロナウイルスによる死者数は医療機関が機能した状態でのものなので、致死率はさておき、人口あたりの死亡者数という観点からすると極めて信頼に値するデータであると思う)
現在、日本国内での新型コロナウイルスによる死者数は、186人(4月21日現在)
観測上の感染者数は、11,119人
日本の人口1億2000万人に対して、およそ200人だ。
前述の通り、20歳以下の死亡者はゼロ。
人口当たりの死亡率は極めて低い病気だといえるだろう。
(とはいえ、欧米での死亡者数の多さは気になるところではあるが…)
致死率は正確な感染者数が分からないのでなんとも言えないが、
186÷11,119×100=約1.7%
実際にはもっと多くの感染者数がいるであろうから実際には致死率は1%をきっているであろう。
(もし、検査で明らかになった人間の12倍の感染者がいると想定すると、
致死率は、約0.14%となり、致死率が相当低い病気だということになる。)
残念ながらコロナウイルスで亡くなられた方々に対しては哀悼の念を禁じ得ないことは当然だ。
しかし、日本で季節性インフルエンザによる死亡者が年間1万人いることや、交通事故でも年間3000人以上もの人々が死亡していることを考えると、あまりにもバランス感覚を欠いた騒ぎ方になっていると個人的には感じている。
(「いや、インフルエンザはワクチンや薬が開発されているから騒がなくてもいいんだよ!」と仰る方がいらっしゃるかもしれない。しかし、私から言わせて頂くと、ワクチンや薬が開発された状態であるにもかかわらず、毎年1万人も死んでいるというのは、その致死率と毒性を考えれば寧ろ極めて恐ろしいことだと感じる。皆さん、そこら辺はどのようにお考えなのだろうか…)
また、以下☟のような観点もある。
☝新型コロナウイルスの50%~80%は無自覚感染者なのであって(これは病気の症状という側面から見れば「良い」面とも言えるし、感染拡大という側面から見れば「悪い」面ともいえる)、当初から言われていた通り、大部分の人にとっては「症状」という意味においては風邪に過ぎない。
(この言葉は、緊急事態宣言が出た今となっては避難轟々の言葉であろうが、緊急事態宣言が出たからと言って、新型コロナウイルスによる症状が変わるわけではないのだ。勿論、突然変異のリスクは常にあるだろうが、それは他のウイルス性の病気でも同じことだ)
本来であれば、症状としては入院が必要のない患者が大多数であることは明白だ。
考えるべきは感染拡大を防ぐ方法であって、感染者を見つけて騒ぎ立てることではない。
② 接触感染と飛沫感染をしっかりと予防すれば、感染リスクを大幅に減らせること。
これは、満員電車が2か月以上の間放置され、人とモノの移動が制限されていなかったにもかかわらず現時点までに感染爆発が起きていないこと(この見解に対しては異論を述べる人もいるでしょうが、上記で述べた通り、死亡者数と感染者数には必ず一定の割合が存在するので、死亡者数が少ない=感染者数が少ないと断言してよいだろう)と、その一方で、マスクの着用率が低く接触文化のある欧米で爆発的な感染拡大が起こっていることからも想像はつく。
(ソーシャルディスタンスという言葉がやたらと流れてくるが、そもそもマスクをして飛沫を飛ばさなければ2m離れる必要はない。これは、頑としてマスクをしない欧米だからこそ必要な処置であって、3密と同じく言葉だけが独り歩きしているイメージがある。2月の下旬の段階でも欧米ではCAさんなどがマスクをすることに航空会社として反対するなどしていたようですからね。街中では未だにマスクの着用率が低いようですし…。また、日本での感染者数や死亡者数が少ないことに関しては、BCG接種など様々な憶測が流れていますが、BCGは細菌性の疾患に対するワクチンなのであまり関係がないのではないか?とも言われているようです。今後の研究を待つしかありませんね…)
つまり、初期の段階から言われてきたように、飛沫感染、接触感染が主要な感染経路であり、マスクをして無言で飛沫を飛ばさず、不特定多数の人間が触れたものに直接素手で触れなければ、感染のリスクを大幅に減らすことが出来るということだ。
(何かに触れた場合でも、顔を触らず手を洗えばリスクをかなり減らせるようですね)
世間では「3密」なるものがかまびすしく取り沙汰されており、あたかも「3密」であるならばウイルスが存在しなくても感染してしまいそうな勢いでありますが、そのようにむやみに騒ぎ立てるのではなく、感染拡大を防ぐために個人個人が出来ることをしっかりとやっていけば良いと私は考えています。
それは、マスクをして飛沫を飛ばさないこと、不特定多数の人間が触るものに素手で触れないこと、複数の人間が触れるものはこまめに拭くこと、こまめに手を洗うこと、といったことです。
国としては、
①医療崩壊を防ぐために、無自覚感染者及び軽症感染者を病院を病院に収容せずに一定期間隔離できるような法整備と態勢を整えること。
②高齢者や基礎疾患を抱え重症化リスクの高い方々を社会的に隔離すること。
(まあ、②は反発が多いのでしょうが、本当に「人の命が第一だ」と考えているのであれば、反対する理由はないと思います)
まず、恐れるべきは医療崩壊であると個人的には考えています。
塾に関して言えば、今回の対応の仕方は主に2パターンに分かれているようだ。
A:周りの塾もやっているから自分の塾もしれっとやってしまうというパターン。
B:「子供たちの命が~」と言ってオンラインに移行するパターン。
私から見ればどちらも、「権威主義」「形式主義」「横並び主義」に囚われたうわべの対応にしか見えない。
Aが論外であることは一目瞭然であるとは思うが、Bに関しても、現在の日本における新型コロナウイルスの被害状況を鑑みれば、交通事故による死亡の恐れや、季節性インフルエンザなどの理由でも塾を休校にするか、年中オンライン授業にするのでなければ論理的整合性が取れない。
私はそういったうわべの理屈をこねくり回して、それっぽい理由をでっち上げることは好きではない。
勿論、日常生活においてこういった潤滑油としての「ご都合主義」や「建前」が必要なことは重々承知している。
ただし、こういった「建前」を「成績を上げる」ための塾という現場に持ち込むことには断固反対だ。
世間が間違っていると、私自身が判断すれば、私はその「空気」に迎合しない。
世間の大多数が、思想の自由を弾圧するような法律に異議を唱えなかったとしても、私は「それは間違っている」と主張する。
政府や大新聞が「鬼畜米英!」「大東亜共栄圏の実現を!」と喧伝したとしても、それを私自身が正しくないと判断すれば、私はその「波」に乗らないであろう。
勿論、私自身の判断が間違っていることはあるだろう。
寧ろ、その可能性の方が高い場合もあるかもしれない。
しかし、「偉い人が言っているから」「周りのみんなが言っているから」などと言った理由で思考停止を起こし、自らの判断を放棄するなどまっぴらごめんだ。
というわけで、世間様に逆らって、塾を開け続けることに決めたのでした。
ここまで読んで頂いた人は恐らくいないであろうが(いらっしゃったら、心からありがとうございます)、明日から平常運転のブログに戻るために長々と(本当に長過ぎですね…)書かせていただきました。
…
とはいえ、当塾のまわりの地域ではあまり神経質にはなっていないようだ。学校の「部活」も「自主練」という形で再開したところもあるようですし。先生が来ると「部活」になってしまうのでダメだという理由らしい…。これはこれでかなりアレな対応ではあるとは思いますが…。
ちなみに、私自身はここ10か月以上の間、公共交通機関を一切利用しておりませんし(と言ったら生徒に引かれました…)、外食に至っては1年以上しておりません。(これは去年のエースさんに「先生、外食とかしてないでしょ?」と言われてしまっていたので、生徒には既にバレているのかもしれない)
こんなことを言うと、「なんて寂しい人だろう…。だから、新型コロナウイルスも怖くないのね!」「他人を巻き添えにしないで!」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、それは当たらずとも遠からずといったところなのかもしれません…。
しかし、誰かを巻き添えにしようなどとは毛頭考えていないのでご安心ください。
未知のウイルスによる感染症の恐ろしさを過小評価する気もありません。
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