最近、入塾してくれた生徒で、なかなか人の話を聞けない生徒がいる。
今まで、何となく「ふわっ」とした雰囲気で済ませてきたのだろう。
こういう生徒は、授業の聞き方だけでなく、全ての行動が「ふわっ」としていて、物事を「それっぽく」「やってる風」に済ませてしまう部分が多い。
要するにシッカリと身につかない。
全てが中途半端になる。
中途半端なモノの寄せ集めは、ただのガラクタでしかない。
「学力」というものは、「知識」や「思考過程」その他すべての積み重ねだ。
一つ一つのことをキッチリやり切るという体験を積み重ねていくことによって、「伸び悩み」を解消していってもらいたいものだ。
(というか、そうしなければならない)
逆の話もしておこう。
以前、世間の人が考えている所謂「普通の中学生」は、「普通」ではないと書いた。☟
これは、逆もまた真であって、所謂世間で考えられている「普通」のことが全て出来ている中学生は特別な勉強などしなくても、必ず偏差値60を超えると断言しても良いくらいだ。
(ここでいう「普通」のこととは、「遅刻をしない」「提出物を全て期限内に提出する」「丸写しなどのズルをしない」「丸付けなどのセルフチェックはシッカリやる」「わからないことや不明な点があれば誰かに確認する」「報連相を怠らない」などだろうか。自分で書いていて、自分がこれらのことが出来ている自信が全くない。…というよりも、出来ていない自信しかない…)
しかし、ここに落とし穴がある。
中学校の勉強は、ハッキリ言って生活態度が「シッカリ」していればある程度できてしまうのだ。
「根本的な理解」や「徹底的な演習」などの重要性を実感せずに高校に合格してしまう。
これだと、レベルが高くなると詰む。
端的に言えば、大学受験の一般入試で挫折する可能性がある。
もしくは、挑戦する前からレベルを下げてしまうか。
(このような生徒には、AO入試か指定校推薦という選択肢がうってつけであろう。まあ、最近では大学入学者の半数がAOか推薦で占められているので、一般入試はそもそも流行らないのかもしれない)
ただ、中学生までは「優秀」だったはずの生徒が、大学入試で思ったような結果を残せない原因は、中学時代の勉強の仕方にあるように思う。
下手に成功体験をしてしまっているので、学問を「体系的」に「本質を大事」にしながら学びたいという意欲に欠ける部分が根強く残ってしまっている印象だ。
そういった生徒は突き抜けられない。
これは教える側にも言えることで、中学生に教えるときにも「本質」を大事にして「体系的」に「学問」を学んでいくという意識を常に持っていなければならないと思う。
定期テストや北辰テストの点数では測れない学力などいくらである。
そこの部分で、「学ぶ力」などといった「ふわっ」とした胡散臭い言葉に逃げないようにしたい。
(ちなみに、私がいつも書いている「聞く力」とは至極具体的な話だ。こちらの発問をしっかり聞き、それに対して適切に答えるという至って「普通」の話です。ここがスタート地点となるのですが、ここで終わらずに、「本質」的な部分にまで踏み込んでいくというお話です。まあ、スタート地点に立てていない生徒には、その前段階からのアプローチとなりますが…)
P.S. 新型コロナ肺炎でお亡くなりになった志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。
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