最近入塾して下さった生徒さんの勉強の仕方が良い。
こちらから特に何も言っていない段階で、こまめに丸付けをすることが出来ていた。
本人に「それ最高の勉強の仕方だね。何でこまめに丸付けをするようになったの?」
と尋ねてみたところ、
「…自分の答えが合っているか気になるので、その場で丸付けちゃうんです…」
という返事が返ってきた。
これなのである。
丸付けの方法や重要性に関しては、このブログで何回か書いてきたが、要するに、
「気になる」か「気にならない」かの違いなのある。
「自分の考え方や表現は適切か?」とか、「他の選択肢の意味は何だろう?」とか、「なんか似たような事柄があったような気がする…」とか、「これとセットで覚えとかなきゃいけないことがらがあったな…」とか、「そもそも答えが合っているのか?」など、問題を解いていれば、様々なことが「気になる」のが「普通」であろう。
そして、それらをその場で確認するのが、一番良いに決まっている。
生徒によく言うのだが、例えば、自分の服に何かをこぼしてしまった時に、「後で拭けばいいや」と思うだろうか?
「普通」はその場で拭き取って汚れを落とそうとするはずだ。
(その場で拭き取らないと汚れが落ちにくくなる可能性が有るというだけでなく、そもそも汚れたまま全く気にせず平然としていられる精神構造がかなりヤヴァイ…)
何か問題が生じた時は、その場で対処するのが一番良い。
当然である。
しかし、勉強のこととなると、突然違うことを言い始める生徒さんが驚くほど多い。
(恐らく原因の一つは、小学生時代の「答えを直ぐに見たらダメ」という教えであろう。小学生は「答えを見てませんよ」アピールを刷る生徒さんが非常に多い。カンニングと誤解されたくないとの想いからなのだろうが、小学校の「ドリル的な問題」と「少し考えなければならない問題」とでは話が違ってくる。)
自分の「わからない」「気になる」という気持ちに素直に従い、その場で疑問点を解決する。
それで良いではないか。
逆に、何故そうならないのか?と不思議に思うのだが、そういった生徒さんたちは、特に気になることも、疑問に感じることもなく、「やれと言われたからやった。ちゃんとやったんだから偉いでしょ。」といった感覚に近いものを持っている場合すらある。
キビシイ。
この「感覚」の違いが何から生まれてくるのか?は様々な要因があり、一概には言えないかもしれない。
ただ、この「気になる」という感覚を持っている生徒さんには大変伸びしろを感じるのである。
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