この元記事は去年の7月に書きかけのまま放置しておいたものなのだが、ずっと書きたいと思っていたので、掘り起こして書いておく。
(まあ、といっても大した内容ではないのだが…)
1学期の期末のころだったと思うのだが、中1の生徒さんからタイトルである
「(中1で)安心出来る生徒さんはいますか?」
と尋ねられた。
(もしかしたら「心配ない生徒はいますか?」だったかもしれない。まあ、質問の趣旨は同じだが)
現時点(2024年2月)で、中1には450点以上が4人いるのだが、(そのうちの一人は、前回の2学期の期末テストで上尾のH中の学年1位になった。当塾から学年1位が出るのは久しぶりである…)、正直、安心して見ていられる生徒さんもいれば、そうでない生徒さんもいる…。(-_-;)
(ちなみに、学年1位をとった生徒さんも絶対安心か?と言われるとそんなことはないかもしれないという感じだ。こんなことを言ってしまっては失礼にあたるかもしれないが…。少し天然なところがあるので…。ついでに言っておくと、この記事を書きかけた7月の段階では、450点以上は3名であった。ひょんなことから、昨年末に大変優秀な生徒さんに入塾して頂くこととなった。実は復塾なんですが…)
そして、件の質問をしてきた生徒さんに関しては、
大変心配しているが、微笑ましくも思っている
というのが率直な気持ちだ。
昔、歴史を教えていた時に、「卑弥呼」と「邪馬台国」という言葉を見て、「どちらが人間なのかわからない」という生徒さんがいた。
(まあ、「~国」と付いてはいるのですが、人の名前にも「国」が付く場合もあるので、先入観で決めつけない態度はむしろ非常に好感が持てると言えなくもない…)
個人的な印象としては、そういった状況に少しだけ類似点があるように感じているのだが、
件の生徒さんは、非常にガッツがあり、努力することを全く厭わない。
(実際問題として、毎回、あらゆる科目の導入部分で必ず躓いている…。それでも何度か説明と演習をセットで繰り返すうちに慣れるてくるという感じだ。凄いのは、初動がそうした状態にもかかわらず、最終的な到達点が非常に高い点であろう。努力できるって凄いことですね)
寧ろ「努力することを全く厭わない」という表現は少し適切ではなく、
「勉強すること自体を努力だと思っていない」
と言った方が正確かもしれない。
(所謂「努力を努力だと思わない」というパターンだ)
勉強することに対して「悲壮感」や「疲労感」がない。
たまに(…というか、しばしば)、勉強することを拷問か何かのように感じていらっしゃるように見える生徒さんや保護者の方がいるのだが、件の生徒さんからは、そういった勉強を倦厭し忌避するような素振りは見られない。
恐らく、ご家庭の影響だとは思うのだが、そういった勉強に対して変に身構えることなく自然体で臨む姿勢は非常に心強いものがある。
単元の初期段階で「アレ?」と思ってしまうような勘違いや間違いをしてしまったとしても、この生徒さんなら乗り越えてくれるだろうという不思議な安心感を与えてくれるような生徒さんだ。
…とはいえ、12月の数学の「作図」でも非常に苦戦した…。(-_-;)
現在、3学期の学年末に向けて勉強中なのだが、理科の「光・音・力」で、これまた非常に苦戦している…。
幸いなことに、今回植竹中は「地震・地層」がテスト範囲に入ってこないようなのだが、ヤバさはあまり変わっていないような気がしてしまう…。
今回も何とか乗り越えてもらいたいものだ。
ちなみに、弱点がないわけではないが、安心して見ていられる生徒さんもいる。
いずれにしても、切磋琢磨してくれる雰囲気があることは良いことだ。
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